はじめまして!
ikoです。
自己紹介をさせていただきますね。
現在48歳、大学生の娘と高校生の息子がいます。
私は40歳の時に
子育てにもお金がかかるようになり、もっと収入がほしくて、
紆余曲折を得て
今では高利益のアンティーク輸入で週に数時間の労働で
家にいながら月80万稼げる主婦になりました。
今は物販の傍ら情報発信したり、
教材を作ったり、物販のオンラインサロンの運営もしています。
家で好きな時間に仕事しているのでストレスフリーです。
好きな商品だけを扱っているので仕事も楽しいです。
海外からアンティークを輸入して国内で販売するのが得意です。
日常の生活は、朝は家族を送り出して軽くヨガをしたあと
そのあとはルンバや食洗器を使って家事を軽く済ませ、
気分次第でカフェやコワーキングスペースに行ったりして仕事をしたり、
お気に入りの仕事場所です↓
プチ観光にでかけたり、
平日昼間カフェでお茶したりもしています。
最近はやっと部活の応援がなくなってちょっとゆっくりしてます。
なんとか最近下の子も希望の大学の合格通知を貰えました!
来年はこの紙が一年に2回くるんだけど、、
本当にこの仕事していて良かったと思う瞬間です(-_-;)
仕事は楽しいと思えるので
やるときは結構仕事しますが
やらされているのではないので
ストレスはほぼないです^^
実は
ちょっとこういう状況になるには時間がかかりすぎたんです。
いろんな経験しながらやっとたどり着いたのがアンティーク輸入でした。
なぜこのようになっていったのか?私という人間のことも分かりやすいように
まとめてみました。
よろしければお付き合いください^^
これまでの人生
0歳
兵庫県、サラリーマンの父と専業主婦の母のもとに生まれる。
4歳
父の仕事の転勤で出ていた父の実家に戻ってくる。そのあとすぐに横に祖父母が私たち家族用に家を建ててくれてそこに住むようになる。毎年家族旅行に連れて行ってもらったり、当たり前のようにピアノなどを習わせてもらったりお金のことは何も考えずに育った。
15歳
地元では一番の進学校に進学。中学の時は受験という目的のため、テストでは教科書丸覚えするくらいの勢いで勉強していたのに母に女の子は短大!と言われ急に勉強しなくなる。(当時短大も英語科は人気が一応あったんだけど基礎学力さえあれば受験前に勉強したら入れるレベルと読んだ、実際そうだった)友達に付き合って入ったテニス部は真っ黒に日焼けするのが嫌ですぐにやめてしまい、3年間をなんとなく過ごす。やっぱり私なんか頑張りたい!と思ったのは受験近くなってから。勉強は取り戻せる自信があったけど四大(四年制大学のこと、当時は)は行き遅れる(結婚に)といわれて親と衝突し、そこからプチ反抗期を迎える。
18歳
都会にでたくて、アメリカにも行きたくて、(時代が時代だから許してください^^)とりあえず留学予定もありで都会の女子大の英語科短大に通わせてもらうことに。そのころもおこずかいもサークル費用も貰ってた甘ちゃんだった。短期留学したアメリカでは電話代20万も親に請求いっていたのに怒られなかった。卒業旅行のお金30万近くを出してくれるものと思っていたらそこで初めて金銭感覚について怒られる。そして2か月しかないのに学校をできるだけ休んで光通信の営業のバイトで旅費をぎりぎり間に合わすことができる。火事場のバカ力が出るタイプ。
20歳
バブルが弾けた直後の就職氷河期真っ最中の就職活動だったけど、それよりもショックだったのは短大卒は総合職は無理、一般職でしか雇ってもらえない、ということ。親に言うと女の子は結婚したら辞めるんやで、と言われる。(また反発したが実際、男子は企業内では体育会系部活の延長のような時代だった。アパレル営業の男子なんていつも寝不足で目が真っ赤だったし、直属上司も昨日も遅かった、、と毎日のように言ってた。育児休業なんて言葉もない)とりあえず一般事務はやめようと思った。(今から思うと全然それでよかったやん?私?バカなん?と思うけど(-_-;))大手企業に一般事務で内定しかけて最終面接ボイコット。就職活動を終わらせたいのと見えはりたいのと世間知らずなフワフワしたのと、、(私が特別バカだったというよりその時代の空気感、そう!)で地元で人気があった上場したばかりの大手アパレル会社の内定を高い倍率の中勝ち取り、羨ましがられた、だけど販売だった。短大卒女性でも出世できるというのがここしかなかった。(この時受けた販売員教育は無意味と思っていたがあとあと役立つ)
21歳
就職してから会社の服が好きになれず、職種も好きになれず(完全にリサーチ不足)鬱々と過ごす。カリスマ美容師なんていう言葉もなかったころ、モッズヘアやスタジオVといった美容院でおしゃれな美容師さんに髪を切ってもらうことが嬉しかった。地域格差の大きかった時代、おしゃれなことも価値のある時代だった、と思う。阪神大震災を機に前から興味があったヘアメイクの道に進みたいと思うようになり、暫くして会社を辞める。
23歳
一年間、バイトをしてためたお金でヘアメイクの学校に入学。一年間、学生気分を味わい、その後バイトしたり、いろいろ模索しながら半年後にスタイリストのアシスタントになる。
25歳
めでたくというか無理やり独立、本格的にフリーランスのスタイリスト兼、ヘアメイクとして活動開始。以前から一人でも仕事をしていたり、学生の時からあちこちにハガキを送ったりしていたのですんなりと仕事は増えていった。一か月200万稼ぐ月もあった。同時に知り合いのヴィンテージショップの手伝いもする。一人暮らしも始めて独立した喜びを実感していた。
28歳
出産適齢期(その時代は)ということもあって急いで結婚、あとあと苦労するが親にもたくさん感謝するようになる。あとから考えたら出産適齢期だけは焦っておいて良かったかもと思う。
31歳
二人目の子供が生まれて、復活する予定だったスタイリストを辞めよう、辞めたい、育児と家事に専念したいと思うようになる。まだまだ能天気は健在だった。食育に滅茶苦茶こだわって毎日公園に行って超健康的な生活をするようになる。
35歳~40歳
夫を説得して大阪から地元に戻ってくる。数年後念願の家を建てる。(頭金両親、残35年ローン)暫くして夫の給料が滞るという事態が発生。夫の実家(東北)ともともと疎遠だったがもっと疎遠にもなっていく。このころからお金って怖いな、お金ってあったら分からないけど、なんとかできなくなってはじめて怖いと思うようになった。よくいえばやっと真剣にお金稼ぐことにコミットできるようなマインドになった。物販開始。
41歳~
ブラック労働なみのコミットの仕方で徐々に様々なやり方で稼げる様になっていったが、アマゾンで多分日本一売っていた自信がある商品の値段が崩れ、波が終わる。爆発的な波には乗れたみたいだけど終わってしまった。次に何を売ろうか、模索していたころ、楽天に出店が決まり、ebayでもともと好きだったヴィンテージ雑貨を輸入して並べてみたりしていたころ、アンティーク販売で稼いでいるショップを見つけてそこからアンティークに興味をもち、勉強しながら仕入れては売るようになる。はじめは安い商品で忙しかったけど徐々に扱う商品の値段をあげて自信を持って高値を付けられるようになっていった、時間もお金も増えていった。
と、ざっとこんな感じの今までの人生になります。
苦労してスタイリストになったりしたけど家事と育児の両立を考えただけでも難しくて辞めたのに
まさか自分がまたも違う職業で起業するなんて
思っていませんでした。
けど、スタイリストは
結構家をあけないといけなかったり、体力が必要だったり、
お金は稼げても復帰する気にはなれなかったんです。
体力勝負の高収入はしんどい!
スタイリストは、
復活しようと思えばできたとおもうんです。
スタイリストは一応高収入だったし、毎日仕事というわけでもないし、
キラキラした自由な職業と思われます。
なんで辞めたの?と言われたりしました。
でも実際は、休みといっても撮影以外の日にもの集めしたり、
一旦撮影が決まると子供が熱出そうが、親が調子悪かろうが
もちろん自分も絶対どんなことがあっても穴をあけることができません!
そんな感じなので一旦復活して順調に仕事が入ってきたら
そうそうプライベートを重視することはできなくなってしまいます。
フリーランスなのでずっと続けて仕事を貰うにはあまり断ることもできません。
そんなわけでもうスタイリストに復帰はすることは選びませんでした。
だけど稼がなくてはいけない!
気が付けば何のスキルもないただのおばさん、
一番なりたくなかったなる予定のなかったものになっていました。
専業主婦で育ててくれた母に宣言したことは自分に返ってきたのです!
他に思いつきませんでしたし、パートで低賃金で働くことは考えられませんでした。
始めは不用品を売ったり、リサイクルショップせどりなどをして
収入を得ている状態でした。
それなりに稼ぐには毎日発送、荷物は増えるし、疲労に疲労を重ねていく状態でした。
「ママは変わってしまった!」
あるとき、小学生だった息子にいわれたんです。
収入は仕事をすればするほど
増えていったので、
払うべきものはなんとか払えたり、
買うべきものは買えたりしました。
だけど余裕のある生活とはかけ離れていっていました。
頑張っているのに、
悲しくて悔しくて。
私が影でこれだけ作業してやっていけている、
誰にも言えない葛藤、
これが続くの?不安でしかありませんでした。
それでも、
終ることなく家事やPTA活動の傍ら作業しなければいけません。
「貯金もない、生活もぎりぎり、なんとかしてせめて子供二人の大学費用を貯めないと」
ストレスが積もりきった頃には、
毎日夕方発送を終えて買い物にいく車の中で運転しながら目から涙が出てきて
いました。
正直、
夫の収入が増える見込みはない、と確信に変わってきていました。
それまでは夫の収入がいつか増えてくれたらいいな~と能天気に過ごしてきたので
夫の収入だけというのはもう無理確定!(夫は良いところもあるのです^^)と悟り始めたのです。
そこから、
「なんとか自分の手で将来を変えないと!」
と、
本気で今やっている物販を効率的にやる方法へ方向転換し始めたのです。
お金さえ稼げたらいいのか?あくせく働いてたんじゃ本当に悲しい。。。
それに市場価値が勝手に上がって勝手に下がる、売りきるのに焦るし、
商品の良さもこっちは理解できなかったりして、何をやってるんだか。。疑問が浮かぶこともありました。
この職業って????
アンティークで稼いでいると思われるショップを見つけたときはコレだ!と思いました。
伝えたいこと
お金は稼げても、毎日しんどいとか
お金になるけど私がやるべき仕事なのか?
そう思ってしまうのではやっぱり私は嫌でした。
お金や時間があって、仕事を含めた生活全般が楽しいとおもえて
幸福度って上がると思うんです。
そして誰かや組織に依存せず、稼げるスキルがある、
自分で人生を開拓していっている感覚って本当に素晴らしいんです。
労働した時間分しか稼げないという感覚がありません。
それはスキルがあるからなのです。
そのスキルというのは
仕入れるスキル(目利きのスキル)
とマーケティングスキル(売るスキル)
です。
そのスキルを身につけてから労働でしか将来が見えてこない状態から
人生が一気に好転しました!
まだまだ上を目指しますので勉強していますが。
情報発信を通して
過去の自分のような悩みをもった方の人生が変わる手助けができれば、
と考えています。
自分で稼ぐ力を身につけて、
ストレスなく
会社や結婚相手に依存せず自分で生きていける人を増やしたい、
そんな思いで、あと一緒に頑張れたら嬉しいです。
同じ仕事をする仲間として繋がったり、意見を言い合ったり、
機会があればどこかで集まれたりしたら楽しいし、
そんな自分で稼げる人が増えたら世の中活気づくのかな~と思っていたりします。
誰でもそれができる
誰かが何とかしてくれる、
なんでもなるようになる、
自分のこれまでの人生でそう勘違いしてきた私は
もしあのままだったら引き寄せの法則、とか
風水とかに頼る人になっていたかもしれません。
(それが悪いとは言ってなくて頼るのは、、ということです(-_-;))
すべて運なのか?
違ったのです!
ちゃんとビジネスの仕方を学んできちんとスキルを身につけたら
自分の力で人生を良い方向に持っていくことが出来たのです。
そのことを知らない、それだけでした。
ゼロから学んで素直に実践すれば才能
や経験なくても自由になるお金は稼げます。
ビジネスは、正直です!正しいやり方で正しい方向に進んでいけば間違いなくたとえ0からでも結果はついてきます。
私がこういうことを話すと才能があるから、、、と言ってもらえることがあるのですが
全く(;^_^Aです。販売員時代の販売スキルは最悪でした、
実は逃げたかったから転職したかも、、
と今では思ってしまう販売員時代でした。
こうやって今アンティーク輸入をビジネスとして自由に続けられているのは
- 正しい情報を選んで
- 正しい努力をコツコツと積み重ねた結果なのです。
メルマガの読者さんや
過去にコンサルした方の中には
- 小さいお子さんがおられる方、
- 部活や塾の送迎で忙しいお母さん、
- パートもして家事もしてあまり時間が取れないと言われていた主婦の方、
- パソコン作業が苦手なアラフィフ男性、
- スマホしか触れない接客業の女性、
知識も経験もない方が多いです。
きちんとやれば三年もかからないですし、
私は必死だったので数か月だったし、
半年や一年でも月10万稼げる様になる方はたくさんいます。
そこからは価格を上げていくだけなので早いです。
始めはしんどいですがどんなことも
先に苦労をしておくと後が楽です。
時間がたつほどに人間は年をとるので始めるのがしんどく億劫になります。
早いうちに集中して頑張ったらあとで楽できます、楽になります、確実に。
ですのでエイッ!!!とちょっとの勇気を出してやりたいことが選択できる人生にしてみてください。
メルマガではもっと具体的な内容をお話しています。
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